理解されないのがそんなに寂しいの?
今日は幸せについてのお話しです
みなさんが幸せになるのに大切なステップは
まずは幸福の定義論からの脱却が必要という話です
何をしたら幸せか?
そんなこと他人が定義するものではないですよね
口ではそんなことわかってる日本人ですが
結局
- お金を持っていて
- 良いところに住み あるいは都会に住み
- 知名度と名誉欲を満たせる
それに固執する人が多いですよね
誰かに自分の考えを伝える
金銭的に幸せである
これが多くの人の幸せの定義であることが多いですよね
しかしそれは違います
もちろんそうゆう価値観の人がいてもいいんですよ
だがそれは幸せのパラダイムでしょう
パラダイム(ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み )
幸せパラダイムからの脱却という方法
それはブッタも頑張っている
いわゆる
悟りですね
幸せパラダイムからの脱却=悟り
もうひとつの方法は
自然観に近づく
ようするに
自分の主観的な考え方を第三者とマッチングさせるということ
それによって脱却するという方法
もちろん幸福は定義してはいけません
万人の定義があっていいと思いますよ
定義が共有されていないことはダメとされていう世の中
なぜこうなったのか
答えは
パラダイムが支配しているからです
こうであるべき
多くの大多数の選択
などの流入あげられますよね
それにより
共有されない価値観は悲しいことになっているのが現実です
理解されないと寂しい?
そんなことは全くないです
でもなぜこんなことに日本がなってしまったのでしょう
ひとつは高度成長期があげられます
戦後復興に国が全勢力を注いでいた時代で
日本は目まぐるしい成長を遂げました
その頃の日本は一律的教育を推進し実施していました。
高度成長期の教育、経済発展により
経済的に豊かになる人が増え
マスメディアが日本全国に行き渡り
幸せとは物質的な豊かさ
金銭的な豊かさが定義されていきました
しかしそれ以前は自由な思想がありました
なぜなら
明治時代は幕府が倒れ
鎖国を取り止め
積極的に外国との国交や
思想、学問、文化をとりいれていこうとしていた時代だからです
そのころの幸せとは
考えることが自由な豊かさ
思想を巡らせる豊かさがあったといえます
高度成長期はいつわりの幸せだったのか?
いや違います
幸せとは=幸せを作ったから幸せ
なのです
幸せを作れていたから幸せだったのです
しかし高度成長期は終わりましたよね
しかし今でも日本は物質的豊かさ
金銭的な豊かさ
これに固執していますよね
もう次の新しい時代にそった
幸せのジャンルを変える時期に来ていると思います
あの価値観は高度成長期で成り立っていたものであると言うことなのです
今日はこれまで
読んでくれてありがとうございます!
ではまた次回